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落語の魅力はなんと言ってもシンプルな所。

舞台装置は何も要らない、
扇子と手ぬぐいだけ持って
座布団の上で喋るだけ。

200年だか300年前の噺を先輩から教わり
忘れないうちに座布団の上で話そうというだけ。

 

おい、
あそこに行くオンナ、
いい女だねぇ!

というだけで
お客さんの頭の中にその人にとっての
いいオンナが現れる。

カラスかぁで世が明けて
というだけで
朝が来る。

それから5年の間
脇目も振らずに働いた
ある日の朝
店の前に現れましたのはあの時の女。

というだけで5年の歳月。
5年の歳月でうらぶれた?オンナが現れる。

あれから
中国にわたり
九州を周り広島の宿にて病に伏せ

時間と空間を自由自在に行き来できるのに
なんの舞台装置も要らない。

 

紙と鉛筆さえあれば良い
小説の中の物語もそうかもしれないけど
落語はさらに自由で何の縛りも取り決めも
ない。

ただどうしても必要なのはお客様の想像力。

同じ旅程の落語ツアーだけど
十人十色の旅行となる。

旗持った演者が
皆さーん此方ですよー!
迷子にならないようちゃんとついて来てくださいねぇ!
いくら声を枯らしても
お客様はあっちの土産屋
こっちの雑貨屋、トイレ何処〜?と
好き勝手。

かく言う私だって「子別れ」で行方が気になるのは熊公家族ではなく花魁。
女房子供を追い出した熊さんのうちに
転がり込んで来た花魁。
朝は寝てる昼も寝てる夜帰って来てもまだ寝てる。酒は昼間から。時に酔っ払って近所の子供を引き連れて花魁道中の真似事。
あっという間に出て行った。

その後の花魁。

彼女の居場所は一体何処かにあるのだろうか?

ただのヤサぐれた甲斐性無しなのだろうか?

 

やはり野におけ蓮華草。

色町へ舞い戻ってしまったのかしら?

色町から飛び出せたのに
やはり舞い戻ってしまったのかしら?

 

シンプル故想像力は無限に広がる。

移ろい続ける落語。

 

 

 

 

 

 

 

 

Wikipediaによると、「日本伝統芸能」とは、明治期以前からあった芸術・技能で、明治期以降も存在しているもの、と定義されている。この日本伝統芸能を形式で分けると、歌、日本舞踊、演劇、音曲、演芸、工芸、芸道と7つに分類されていて、この中の「演芸」のひとつとして落語もちゃんと入っている。だから落語は「日本伝統芸能」だということになる。

この「演芸」の項目には、落語の他に、講談、浪花節、奇術、萬歳、俄、梯子乗り、女道楽、太神楽、紙切り、曲ゴマ、写し絵、花火、がある。俄、女道楽なんかは、これなんだろう?と興味を引くが、少し驚いたのは、この中に萬歳が入っていることだ。萬歳=漫才はもっと最近成立した芸能だとばかり思っていたけど、萬歳をクリックしてみると、なんと「平安時代頃すでに芸能として成立していったことが伺える」と書いてあって、さらにびっくりした。

ただその頃の「萬歳」は、新年を祝う歌舞だということで、それが今の「漫才」に変わっていったのは、明治以降だという。「漫才」はおもに近畿地方で独自に発達したらしい。大正末期にエンタツ・アチャコのコンビが「しゃべくり漫才」で絶大な人気を得たのが、現在の漫才にそのままつながっている。萬歳を漫才と表記するようになったのも、昭和8年頃、吉本興業宣伝部の仕業だという。エンタツ・アチャコの「しゃべくり漫才」はスーツ姿で会話のみで、それまでの太鼓を伴奏に唄う萬歳というスタイルとは画期的に異なっていた。それはアメリカのダブルアクトという話芸の影響が大きいということで、このことからビートたけしは、漫才の直接的ルーツはアメリカにある、と言っているとのこと。

実はわたしは落語とともに、漫才もやりたいと思っている。ごくシンプルなしゃべくり漫才をやりたい。すると浮かぶ疑問がある。落語と漫才はなにが違うの?ということだ。

何と言ってもまず演者の数が違う。落語はひとり、漫才は主にふたりで行う。この数が実は本質的な違いをもたらすのだとわたしはにらんでいる。

そして描き出す対象が違う。落語は伝統芸能らしく、「江戸」の雰囲気を描き出すこと、もしくはあくまで「江戸情緒」を下敷きに、人情や滑稽を面白おかしく描き出すことを目的に演じられる。対して漫才はなにかの雰囲気とか情緒を描き出すことを目的にはしていない。その場限りの「お笑い」を創造することを目的にしている。

と書いてみると、落語と漫才はまったくの別物なのだな、と思う。では逆に考えてみる。落語と漫才はなにを共通にしているのだろう?

すると、そこに「笑い」が、膝を抱えぽつんとうずくまっている姿が思い浮かぶ。

でもまだわたしには彼の姿をありありと見ることができない。彼に手を差し伸べても彼はその手を上目遣いに見やるだけで、彼の小さな手をわたしはつかむことができない。彼に目をやればやるほどに彼の姿はにじんでゆく。

でもでも。だからこそわたしは落語と同時に漫才をやりたいのだと再確認する。

例えば小三治さんの『かぼちゃ屋』を聴いていると、ストーリーとしての文言の中に「もっとまともな人間になってくれ」という、おじさんの与太に対する熱いきもちを感じることができる。そのとき、この噺は単なる与太の滑稽譚なのではなく、与太の新生を祈るおじさんの人生訓でもある、と聴くことができる。もちろんそのようなことが表立つように話されるなんて野暮なことを小三治さんがするわけはなく、あくまでそれは聴く側の自由裁量によるのだけど、一度そう思い立ってみると、今度はどちらかと言うと、おじさんのきもちが大きく聴者のこころの中に広がっていることに気づく。このように、ストーリーとは独立した、ある意味の表出がポリフォニックに確立していく過程としての落語は、ひょっとすると、小三治さん独特のものなのかもしれない。試しに一之輔さんの『かぼちゃ屋』をいくら聴いてみても、そのような事態は起こらない。

同じく小三治さんの『意地くらべ』を聴いてみるといい。「男ってえやつは、一度決めたことは、ぐーっと、一に押し二に押し三に押し、四に押し五に押し六に押し、どこまでも押し続けなきゃいけない。引いたら引いた方が負けになる」「今までこうして生きてきたけど、意地を張り通すってえことはずいぶん損をすることもあります。泣きをみることもありますよ。でもねえ、だからって引っ込めるわけにはいかないんです。なにがなんでもやり通さなきゃあ、腹がおさまらない」なんていうセリフを聴いていると、小三治さん、これ、あなたのことなんじゃないの?なんて勘ぐりたくなるくらいに、意地っ張りな男の生き方の主張が前面に出ているように思える。

わたしは秋風亭てい朝さんの主催する落語教室に通っていて、てい朝さんを言わば、師匠と仰いでいる立場なんだけど、同じく秋風亭門下の生徒(弟子?)さんに、秋風亭あい朝という方がいる。定例の稽古の折り、この方の『金明竹』を聴いて、わたしは言わば、ぶっ飛んだことがある。それはひとつのストーリーを追って楽しむ落語なんかじゃなく、あちらこちらから、いろんなセリフがつぶてのようにバンバン飛んできて、それが時に重なり合い時に追い越し合い、声音も調子も速度も、様々な要素が原色のまま繰り出されていくその様は、まるで落語のキュビズムを見ている聴いているようで、すさまじい圧倒を感じ、そのままぶっ飛ばされちゃった。

言わば違う意味、かもしれないけど、とにかくすごい落語だった。もちろん師匠からは酷評されたんじゃないかな、と記憶しているけど、わたし的には、これこそわたしの目指す落語じゃないかしら、と思ったぐらいすばらしい落語で、それを聴いてわたしは総毛立ってしまった。わたしの目指す落語の少なくともひとつの方向性をそこに見た思いがした。そこには、ポリフォニーを通り越したデジタル的な多様性・多義性があり、和色じゃなくて西洋的な色使いを駆使した明るい点描絵画のような革新性があった。

あい朝さん、最高です!