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落語と漫才

Wikipediaによると、「日本伝統芸能」とは、明治期以前からあった芸術・技能で、明治期以降も存在しているもの、と定義されている。この日本伝統芸能を形式で分けると、歌、日本舞踊、演劇、音曲、演芸、工芸、芸道と7つに分類されていて、この中の「演芸」のひとつとして落語もちゃんと入っている。だから落語は「日本伝統芸能」だということになる。

この「演芸」の項目には、落語の他に、講談、浪花節、奇術、萬歳、俄、梯子乗り、女道楽、太神楽、紙切り、曲ゴマ、写し絵、花火、がある。俄、女道楽なんかは、これなんだろう?と興味を引くが、少し驚いたのは、この中に萬歳が入っていることだ。萬歳=漫才はもっと最近成立した芸能だとばかり思っていたけど、萬歳をクリックしてみると、なんと「平安時代頃すでに芸能として成立していったことが伺える」と書いてあって、さらにびっくりした。

ただその頃の「萬歳」は、新年を祝う歌舞だということで、それが今の「漫才」に変わっていったのは、明治以降だという。「漫才」はおもに近畿地方で独自に発達したらしい。大正末期にエンタツ・アチャコのコンビが「しゃべくり漫才」で絶大な人気を得たのが、現在の漫才にそのままつながっている。萬歳を漫才と表記するようになったのも、昭和8年頃、吉本興業宣伝部の仕業だという。エンタツ・アチャコの「しゃべくり漫才」はスーツ姿で会話のみで、それまでの太鼓を伴奏に唄う萬歳というスタイルとは画期的に異なっていた。それはアメリカのダブルアクトという話芸の影響が大きいということで、このことからビートたけしは、漫才の直接的ルーツはアメリカにある、と言っているとのこと。

実はわたしは落語とともに、漫才もやりたいと思っている。ごくシンプルなしゃべくり漫才をやりたい。すると浮かぶ疑問がある。落語と漫才はなにが違うの?ということだ。

何と言ってもまず演者の数が違う。落語はひとり、漫才は主にふたりで行う。この数が実は本質的な違いをもたらすのだとわたしはにらんでいる。

そして描き出す対象が違う。落語は伝統芸能らしく、「江戸」の雰囲気を描き出すこと、もしくはあくまで「江戸情緒」を下敷きに、人情や滑稽を面白おかしく描き出すことを目的に演じられる。対して漫才はなにかの雰囲気とか情緒を描き出すことを目的にはしていない。その場限りの「お笑い」を創造することを目的にしている。

と書いてみると、落語と漫才はまったくの別物なのだな、と思う。では逆に考えてみる。落語と漫才はなにを共通にしているのだろう?

すると、そこに「笑い」が、膝を抱えぽつんとうずくまっている姿が思い浮かぶ。

でもまだわたしには彼の姿をありありと見ることができない。彼に手を差し伸べても彼はその手を上目遣いに見やるだけで、彼の小さな手をわたしはつかむことができない。彼に目をやればやるほどに彼の姿はにじんでゆく。

でもでも。だからこそわたしは落語と同時に漫才をやりたいのだと再確認する。

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