国語 美術

落語における仕草

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先日(2021年7月10日(土))、わたしの職場であるデイサービス・サンシャイン南蟹屋(https://www.sunshine-m.jp)のレクリエーションで「落語」を演らせていただいた。

昨年4月以来、新型コロナのおかげでボランティアさんを招き入れてのレクリエーションはほとんどままならぬ様相なのだが、広島での緊急事態宣言が6月20日に解除されたのを受けてじゅん朝さんおひとりだけにお声掛けさせていただき実現した(6月21日~7月11日までは緊急事態宣言解除後の感染拡大防止集中対策実施中ではあったのだが)。

演者はわたし・秋風亭たかぶと、わたしの落語相棒・ぬりた家じゅん朝さん。わたしの演目は『猫と金魚』で、じゅん朝さんは『お化《ばけ》長屋』だった。出演順は最初にじゅん朝さん、後にわたし、だった。

わたしはじゅん朝さんの高座の間に自分の演目のおさらいをするつもりだったが、じゅん朝さんの演技を聞くともなく見るともなくしているうちに、その面白さについ引き込まれ、途中から自分のおさらい計画などすっかり忘れ、じゅん朝さんの噺に集中していた。

じゅん朝さん得意のアドリブが連発で出現し、思わず出てきたデイの利用者様の声掛けさえも巧みに対応しつつ、じゅん朝さんドンドンのってくる。わたしをはじめ、スタッフや利用者様から大きな笑い声がドッと湧いてくる。

ここでじゅん朝さんの演目『お化長屋』のあらすじを紹介する。

<お化屋敷>

別名:「借家怪談」「化物長屋」

[梗概]

長屋にある一軒の空き家を長屋の連中は物置代わりに使っているが、家主がここは物置じゃないと文句を言い出し、いつ借り手がついて置いてある物を運び出させられるかも知れない。長屋の連中は何とか今までどおりに物置として使える算段はないものかと、古狸の杢兵衛(もくべえ)さんに相談に行く。

杢兵衛は一計を案じて、借り手が訪ねてきたら、家主は遠方に住んでいるので自分が長屋の差配をまかされているといって杢兵衛の家へ来させて、借り手をおどして空き家に借り手がつくのを防ごうという算段だ。

早速、借り手の男が杢兵衛のところへ来る。杢兵衛は怪談じみた話を始める。3年程前に空き家に住んでいた美人の後家さんのところへ泥棒が入り、あいくちで刺され後家さんは殺された。空き家はすぐに借り手がつくが、皆すぐに出て行ってしまうという。後家さんの幽霊が出るというのだ。

借り手の男が恐がりなのを見透かした杢兵衛は、身振り手振りを加え怪談話をする。恐がってもうわかったから止めてくれという男の顔を、幽霊の冷たい手が撫でるように濡れ雑巾で撫でると大声を出して飛び出して行ってしまった。大成功だ。男の坐っていたところを見るとがま口が忘れてある。とんだ大儲けだ。

次に来たのが威勢のいい職人風の男だ。前の男を恐がらせて追い返した杢兵衛さん、自信たっぷりで怪談話を始めるが、こんどの男は一向に恐がらず、話の間にちょっかいを入れる始末だ。

困った杢兵衛さん、最後に濡れ雑巾で男の顔をひと撫でしようとすると、男に雑巾をぶん取られ、逆に顔中を叩かれこすられてしまう。男はすぐに引越して来るから掃除をしておけと言い残して帰ってしまう。

そこへ長屋の源さんが様子を聞きに来る。

杢兵衛 「あいつはだめだ、全然恐がらねえ、家賃なんかいらないって言ってしまったからお前と二人で出そう」

源さん 「冗談じゃねえ、がま口かなんか、置いて行かなかったのか」

杢兵衛(あたりを探して) 「あっ、さっきのがま口持って行っちゃった、あの野郎」

(引用元:http://sakamitisanpo.g.dgdg.jp/obakenagaya.html)

最初の借り手を怖がらせようと、差配役の杢兵衛さんが声音を変えるあたりから笑いの裾野が始まり、二人目の「威勢のいい職人風の男」が出てくるあたりから笑いの高度が高まってきて笑い声を止められないうちに、上記下線を引いた部分では雲を突き抜けた笑いが最高潮に達する。

その時の「顔中を叩かれこすられ」る杢兵衛さんは、じゅん朝さん顔をのけぞらせながら左右にぴっぴっぴっ、ぶるっぶるっぶるっと動かして演じてられるのだが、その時の(動いている)映像の記憶が今でも忘れられずにいる。

あの仕草が可笑しくてしようがない。

あのシーンだけでもじゅん朝さんの『お化屋敷』を観る価値がある。

落語同業のものとしてあんなに面白い高座を前に、悔しくないわけはないのだが、どうしたって面白いものは面白い。

そこでつい考えてしまう。

あの仕草があんなに面白い、その理由って何なのだろう?

演技とか仕草とか、語り言葉もそうだけど、それが存在する理由として、記号としての側面が大きいわけで、というか、そもそも言語は記号そのものであるわけで、その観点からすると演技も仕草も記号としての存在理由がほぼ100%なのだと、わたしなぞは日頃からそう思っている。

だけどこのときのじゅん朝さんの仕草は、「顔中を叩かれこすられ」る杢兵衛さん、を観客に示すための記号としてだけの仕草ではなかったのだと思う。

記号を受け取る観客はその記号が指し示さんとする意味を脳内で構成する。その構成作業がうまくいけば記号を媒体とする意味内容の伝達はうまくいったことになる。

その操作は、データを圧縮して伝え、それを解凍してデータを得るとか、暗号で伝えられたものを復号してその内容を得るとかいった作業と同じで、こういった作業を互いに脳内で行うことでわたしたちは日常において他者と「交流」している。

そうした作業(=記号伝達+脳内での意味構成)は落語でも同じように、演者から観客へという形でなされていると思っているのだけど、この度のじゅん朝さんによる「叩かれる杢兵衛さん」の仕草の面白さは、そうした理屈では説明できないのではないか。

じゃあ何なのか?

何度も何度も脳内であのときのじゅん朝さんの仕草を再生する。

例えば現代美術を観て多くの人は「わけがわからない」と言って敬遠してしまいがちだ。それはそうなのだと思う。だって(わたしの見立てでは)現代美術の作者はその作品でもってそれを観る人に伝えたい「わけ」なんてないのだから。

それでは誤解があるかもしれない。現代美術の作者は、多くの人が持ち合わせている「わけの辞書」には載っていそうにない「わけ」を伝えようと(内包)しているから。

それと同じなのじゃないか?

あのときのじゅん朝さんの「叩かれる杢兵衛さん」の仕草は、もう、それが解凍されたり復号されたりする余地なんかなくて、あの仕草だけで屹立していて、その屹立してるそのあり方がすんごくリアリティを持っていて、そうした有り様が面白いのじゃないか?

要するに、そこにわたしは「杢兵衛さん」を見たんです。その「杢兵衛さん」が職人に濡れ雑巾でもってビンタされている。その様相がもう、面白くて面白くて面白い。

じゃあ、どうすればあんな仕草ができるのか?じゅん朝さん以外に、例えばわたしにも、いつの日かあんな仕草ができるのだろうか?

それはまた別の話。

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