『闇金ウシジマくん』の最初だけを見た。
(林遣都が、パーティらしきものに参加しているお客に名刺を渡すところまで)
その場にいるお客たちは、みんななにかの経営者とかで、10億円内外の資産をもっているらしい。
そこでなにかいやな気がして見られなくなったのだけれど、これはまったく持たざる者の「ひがみ」というものだろう。
でも考えてみると、そういったいわゆるお金持ちの人たちは世の中にたくさんおられるのだろうし、お金持ちはお金持ちとしかつき合わないということだとすると、ぼくのまわりにお金持ちの人がほとんど見られないのは、まああたりまえのことなのだろう。
こうした事態(つまり、自分のまわりには自分と同じ身の丈の人ばかりがいるという事態)はお金のことだけでなく、いろいろな尺度についてそうなのかもしれない。SNSの「おすすめ」などとても敏感にそうした事態の存在を明らかにしてくれる。
だとしたら、ぼくらはみんな、そうしたなにか目に見えない境界線に囲まれた世界の住人で、その世界の中で息をし、ものを食べ、放屁したりしているわけで、そうした世界の中で得られた人生観のようなものは、どれだけの価値をもつのだろうか?
『進撃の巨人』の世界は、ぼくたちに「切実」を提示している。