原尞さんの沢崎シリーズが好きで、新刊が出れば読みたいのだけど、2018年3月に14年ぶりの新作『それまでの明日』が出てから現在(2024年10月)まで、未だ次作は出ていない。(2023年5月に亡くなられてしまった)
ハードボイルドという呼び方がやわに思えるほどかたくて、二以上の数字が居場所を見失うほどに一人称なその小説は、読むものの頭部にVRゴーグルを装着させて高解像度の映像を展開させてみせるという手法で書かれていて、一旦読み始めるとその世界では自分が”沢崎”になる。
原さんの愛読者はたくさんおられると思うけど、その作品はあまりに少なく、長篇が5作、短篇集が1作、他にはエッセイが1作か2作。それで全部。だからぼくらはそれらを何度も何度も読み返すしか沢崎になる方法はない。
原さんが寡作である理由を想像してみる。
原さんはおそらく小説を「書く」のに、空中から次のことばを取り出すことで「書く」ことを可能にされているのではないか?
つまり、原稿にひとつのことばがないと、その続きを「書く」ことができないたちなのではないか?
(もう一度)つまり、《書くことによって初めて繋がりが見えたり、凝集されたりする》という書き方をされるたちなのではないか?
それに対して書かれている対象は”推理小説”と言われるもので、これはそのような、書き出してからその先を創り出す、という手法ではどうにもならんようなもので、ある程度プロットとか仕掛けとか”筋”を想定していなければ、”布石”を打つことができないし、その回収をすることもできないし、ともかくどんな形でもあらかじめの構成を要求するものだ。
そのあたりの在りようは、原さんのお好きな”囲碁”と似ているのかもしれない。