むかしむかしぼくはよくパチンコ屋に行ってました。
お店が開く前、お店の前にはぼくと同じような風体で同じような年頃のおとこたちが同じような顔をして、いっぱい立っていました。
映画館でみんながスクリーンを一心にのぞきこむように、ぼくたちは静かにあるいは気だるく、でもみんなが同じ”願い”をもって、お店のガラス戸をじっとみつめていました。そのときだけ、互いを知らぬぼくたち全員は一心同体という状態だったと思うのです。ひょっとするとそのときだけ、ぼくたちみんなの呼吸のリズムが同期していたかもしれません。
軍艦マーチが聞こえるともなく鳴り出して、みんな一斉に前に駆け出します。
まだガラス戸が開ききってないところへ、大勢のおとこたちが我先にその中へ入ろうと押し寄せるのですから、どうしたってガラス戸の縁に誰かがぶつかります。後ろからはそんなことにはお構いなしに、次から次へとおとこたちがやって来るのです。ぶつかったって平気な顔でなんとか身体を押し込んで、そこから少しの階段を駆け下りていきます。
その階段で大概ひとりかふたりが段を踏み外して転びます。通り過ぎるときに横目で見ると、転んだおとこは少しだけ笑みを浮かべようとしているところでした。大丈夫。
前日から目をつけておいた目当ての台の玉の受け皿にタバコかライターを置いて、付近の台の釘の開き具合を順々にていねいに見ていきます。気になる台があるとポケットからティッシュとかハンケチとか家の鍵とか、ともかくなんでもいいから受け皿に置いてその台を打つ権利を確保します。
そうした毎日は今風に言うなら、”venture”と言えませんか?
だとしたら、その頃からぼくたちはベンチャー起業家だったのです。