川の流れは絶えずして〜とはじまるむかしの本があったな、と思って調べてみると、正しくは

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず

で、本というのは『方丈記』だった。

先日広島は北広島町の王泊(おうどまり)というところにあるグランピングキャンプ施設(「沙羅の森」さん)を訪れてきた。

あのあたりはずいぶん山めいているおり、そんな山たちの谷間を大小いろんな川が蛇行しながら流れている。そこの近くを流れているのは滝山川という川で、その川に沿って国道186号線(広島大竹市と島根浜田市を結んでいる)が敷かれている。でも今年の春ころそこの近くでがけ崩れがあって、そのあたりはしばらく通れなかったらしい。

そこから少し南に王泊ダムがあり、それに堰き止められた川の水でできた大きな水の塊が、ダムの上流で二股に分かれてある。その東側の溜まりは仙水湖と呼ばれており、その仙水湖のつけ根の部分に蕎麦屋さん(「王泊茶屋」さん)がある。その蕎麦屋さんの客席は仙水湖に向けて大きくせり出しており、そのせり出した大きな窓から下にミルキーグリーンの色をした溜まり水がよく見えた。貯水率が低いのか、黄色い土壁が露出していた。

川の流れと同じで、世界でのできごとも、それ単一で生まれたというわけではなく、それの前のできごとがあって、そのそれ以前のできごとの影響があって・あるからこそ、そのできごとが今起きているのだろう。

そうしたできごとの流れに、ある一貫したなにかがあるなと睨んで、それを「ロゴス」と呼ぶことができる。

でもそう呼ぶと同時に、そう呼ばれなかったものたち・ことたちだって、そこにあるんだぜ、と言うこともできる。

「しかももとの水にあらず」というのはそうした、呼ばれなかったものたち・ことたちのことを言っているのじゃないかしら。