むかしぼくは井上陽水さんの歌が好きだった。

陽水という名前がまた好きだ。ライブ音源なんかを聴いていると、女の人の「ようすい!」という声が甘えるようなやさしさでもって聞こえることがある。
いいなあ。

陽水はその曲もいいけど、歌詞がまたいい。『東へ西へ』に出てくる「老婆が笑う」というくだりなんか、大むかしの和歌の世界のことのようだ。

陽水の曲に親しんでいると、なによりすごい”自由”を感じ取ることができた。
えー!?こんなんしてもええん?すげー!

ぼくが好きになる歌い手の人たちは、陽水とほぼ同じような”自由”をぼくに教えてくれる。

イタリアのペルージャという町にむかし、自分のことを中世の騎士だと思い込んでいる老人がいて、一日一回、スクーターに乗って町にやって来ることがあったという。黄色いとんがり帽子を被って、ひらひらの紙でできた服を着て、なにかの紋章の入った旗をはためかせながら。

でもそんな老人を、町の人たちは大好きで、彼を見かけると拍手喝采していた。
(「『変なおじいさんのいる町』若桑みどり、現代思想1989年4月号」より)

陽水はペルージャの変な老人ではないけれど、ぼくにとってはどちらも、世界の”自由”を謳ってくれる、あこがれの存在だ。