漠然と悲しい。
こういう状態がある程度の期間続くのが「うつ」なのだとしたら、それはつらいことだ。
温度のない水に満たされたプールの底に膝を抱えて座り込んでいるようなイメージ。髪の毛はゆらゆらと浮き、ときどき鼻の穴から呼気の小さな泡がぷくぷくと出てくる。目は開いていて、まつげにはその小さな気泡がまとわりつく。そのままじっと水底のなにかを見つめている。
苦しくはない。でも動けない。動くのはよくないような気がして、その姿勢を崩せない。なにかの感じが皮膚を通してじわじわじわじわ体の中に伝わろうとしている。その感じは、体の熱を奪おうとしているのかもしれないし、体そのものを水に溶かそうとしているのかもしれない。輪郭が邪魔なのだろう。
不快ではない。ただなにもかもがじっとしている。様子を伺っているわけでもないが、「様子」ってなんのことだったかなという思いが形をなしてすぐに崩れていく。
ぼくがモノになる。
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コリン・ウィルソンはこうした神経症により、多くの詩人が亡くなったことを批判している。彼らはあまりに弱すぎた、と。そうした自己憐憫の情に溺れるのではなく、意志の力でそうした状態から脱し、創造の道を見い出せ、と。
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ともあれ、ただの二日酔いだった、ということにしたい。