何かを乗り越えようとしている姿は、その何かにしがみつこうとしている姿に似ている。
ここには「乗り越える」という行為の意外な側面が表れているように思う。
つまり、何かを乗り越えようとするなら、その乗り越えたい何かに一旦しがみつかなきゃいけない、ということを意味するのではないか、と。
そうしてその乗り越えたい何かにしがみつくという行為が、その何かにこれまでになかったほどに、経験がなかったほどに「近づく」ことになる行為であるかもしれず、そのとき初めてその何かの「におい」を嗅ぐかもしれず、その場合その「におい」は思わずあなた(それを乗り越えようとする者)の中に、懐かしさ、親しみ、思い出なんかを一瞬にして想起させるかもしれない。
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時代劇なんかにあるように、二人の武士が切り合う場面において、相手を斬ろうとするその瞬間が、二人の距離が最も近接する瞬間なのだ。
最接近した二人の武士は、その瞬間、相手の技量・意志・思考・人生などを一瞬にして交換し合う。
そうした一期一会を基本に置いて、そこから様々な思想が展開される。
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逆に言うと、何かにしがみついた(何かに最接近した)ならば、その後は乗り越えるか乗り越えられる可能性が高くなる。
もっとも、その後一緒になっちゃうという可能性もグンと高くなるかな。