「個」の(その個を含む)「多」への影響はほぼ無視できるが、無ではない。
このあたりの塩梅がこの世界の味噌のような気がする。
●
一般にすするところの汁の味はその塩味で決まることは『庖丁人味平』に詳しいが、ハゲの定義が頭髪の本数によって明確に定義(頭髪〜本以下がハゲ、というように)できないように、水の量に対しての適当な塩の分量をその一粒単位で決めることはできない。
だから「個」の「多」への影響を明確にするには、「個」を小さじレベルで取り扱うしかなくて、それが政治なら代表制のような形を取るのだろう。
●
先に行われた日本の衆議院議員選挙の場合だと「選挙区」がその小さじに相当する。
つまり「選挙区」は「個」(=塩)と「多」(=汁)を結ぶ小さじなのだから、その小さじですくう塩を選ぶのに、場所に固定された形の塩から選ぶ必要はないことになる。むしろ場所と紐づけられることで、社会的ななにかが固定され、その固定がなんらかの偏りを生じさせる要因となるかもしれない。
場所ではなく、例えば選挙権をもつ「多」から1000人をランダムに選んで、その1000人で多数決を行い、その結果選ばれた代表を新たな「小さじ」として取り扱えばそれでいい。
今の時代ならそれを実現させることは充分できるのじゃないかしら。
《参考from》「偽日記@はてなブログ 2024-10-21」