このところ毎日ここで文章を書いている。
よく書けるな。
自分でも少し呆れている。
何を書こうかということは、書き出すまでほとんど決まっていない。
書き出しまで、キャッチ画像を選んで、いつもの”inoreader”で、更新された登録ブログを読んだりして、きっかけをつかむ。
あ、と、きっかけみたいなひっかかりみたいな感覚を得て、書き出すけど、書いていくうちにその最初のとっかかりのことは忘れてしまう。
ともかくして、一文一文書いていくうちに、その一文に刺激されるようにしてその次の一文が決まる。
このあたりはChatGPTのテキスト作成システムとほとんど同じ仕組みじゃないかしら。
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こうした書き方は、例えば、ミケランジェロが石を見て、その中にある立体を掘り出すだけだ、としたやり方(ミケランジェロの場合、掘り出すべき像が掘り始める前から見えていたという)とはまったく異なっているのか。
ただこうした書き方(ぼくはこれを「空中つかみとり方式」と呼んでいる)だと、推理小説のようなものを書くには何度も推敲や書き直しが必要となるだろう。そもそも書けないかもしれない。
長篇も無理かもしれないなあ。
森博嗣さんなんかは、ある程度ストーリーのすべてが決まって、そこから日々の書くべき工程を決める、みたいな書き方をされているとどこかで読んだような覚えがある。だから森博嗣さんの書き方も、いわゆる「ミケランジェロ方式」だ。
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書くこと以外のことはどうしてるのだろう?
まあ、同じようなものかな。
《参考from》「偽日記@はてなブログ 2024-10-25」