たいけんいつさい

『禅仏教入門』鈴木大拙、増原良彦訳、2017、中央公論
より。

著者の鈴木大拙によると、禅では、ことばによる教えではなく、各人の「体験」を一切として、それに最大の重点を置いているという。
(これを仮に「体験一切主義」と呼ぼう)

この本の翻訳者(増原良彦)による鈴木大拙の紹介。

鈴木大拙 1870-1966
《石川県金沢市生まれ。》

《金沢の石川県専門学校で、同い年の西田幾多郎(1870-1945)と出会い、終生変わらぬ親交が始まった。》

《一介の在家の居士(こじ)。》
居士:出家せず家に居たまま仏道を修行する男子。特に、在家の禅の修行者。

《鎌倉・円覚寺の今北洪川(いまきたこうせん、1816-1892)とその弟子の釈宗演(しゃくそうえん、1859-1919)に参禅し、”大拙”の道号を受けている。》
参禅:禅を修学すること。 道号:仏道を極めた僧侶に与えられる称号で、戒名の上に付く別名。
戒名:仏教の教えを学び、戒律を守ることを約束した証として与えられる名前。仏弟子となったことを意味し、仏の世界における故人の新しい名前を表す。

《本名は貞太郎(ていたろう)。D・T・スズキの「T」。》

《明治30年に渡米。(釈宗演の推薦)
インドに行くための資金稼ぎに米国でアルバイトをしようとした。》

《しかし明治42年、インドに行くことなく帰国。学習院大学の英語の教師になる。》

《明治44年、アメリカ人のビアトリスと結婚。》

《大正10年、京都の大谷大学の教授になる。》
大谷大学:浄土真宗の東本願寺が経営する大学

《同大学内に「イースタン・ブディスト・ソサエティー(東方仏教徒協会)」を設立し、そこで英文雑誌『イースタン・ブディスト』を創刊。大拙はこれを媒体にして、仏教や禅思想を広く世界に紹介していった。》

禅におけるこの「体験一切主義」とはどのようなものか?

そう思ったときピンときたのは、松岡正剛の千夜千冊の第一夜「中谷宇吉郎 『雪』」にある挿話だ。

松岡正剛が仲間と一緒に、中谷が生まれた石川県片山津の一隅に1994年に完成した「雪の科学館」を訪れたときのこと。

《(「雪の科学館」は)磯崎新が設計した小さなミュージアムである。建物も構想もなかなか、いい。ぼくはここで、中谷宇吉郎がいかにダンディズムに富んだ生涯をおくったのか、初めて知ることになった。研究遺品や生活用品などもいろいろ展示されていて、それらのひとつひとつが粋なのだ。ほう、粋な人じゃないか。そう、感じた。》

《中谷宇吉郎は一生を通じてまさに結晶的ともいうべき知的な趣向に懸けていた。雪だけが結晶ではなかったのだ。それは中谷が身につけていたネクタイ1本から扇子1本の先にまでおよんでいた。眼鏡入れもダテな黒曜石で、色紙の文章も書もオツな片麻岩だった。旅行鞄もシャレた電気石だったのだ。そうか、クリスタリゼーションは中谷の人生全般の細部に舞い散っていたのだったか。》

松岡正剛は「雪の科学館」で中谷の生活全般に及ぶ「粋」の感覚を知り、それを彼の著作『雪』に結びつけることで「そうか!」と膝を打つ。

この「そうか!」の感覚こそが、ことばではなく体験で世界を知るということであり、禅でいう

「禅は何も教えない。ただ方向性を示すだけである」

を表しているのだ(そうか!)。