「わたしは落ちこぼれじゃけえ」そう言う人がいた。

何度も接しているので、その人がどんな人でどんな具合でそういうことを言うようになっているのか、だいたい想像はつく。仕事上のいろいろな場面で、同僚たち上司たちから、そう思い込まされるような言葉をあるいは行為を示されたのだろう。

「そんなこと言うちゃいけんよ」
「ほう?」
「そりゃそうよ。なに言われたんかしらんけど、ぼくなんかも一緒よ。どんだけバカにされとるか、陰でなにを言われとるかわかりゃあせんよ。でもそんなもん気にしちゃいけん。そんなことまでこっちは責任もてんのじゃけえ。アホがなんか言いよる、わしゃえらいんで、ぐらいに思うとかにゃ」
「ほうよねえ」

最後に大笑いした。

こんなことばはその人の慰めにも力にも少しもなりはしないと感じつつ、そう言った。

《芸術というものを「わたしの生」という視点から解釈するなら、「自分なんか下らない、とるに足らない存在だ」と思い込ませようとするあらゆる社会的、政治的、世俗的な力に抵抗するために必要なもの、で、また、神のいない世界でニヒリスティックなアイロニーに陥らないで生きるために必要なものだ、ということになると思う。》

《しかしここで、「自分など下らない存在だ」と思わないために重要なことは、自分を大切にするということとは逆に、自分より「世界」(決して「社会」ではなく)を大切にするという方向性だと思う。それはたとえば、自分が生きている現在と同じくらい、まだ生きていなかった過去が重要であり、もう生きていないであろう未来も重要であると考える、というようなことだ。》

(偽日記@はてなブログ 古谷利裕 2023/12/31 より)

何度も思い返す。