なんでもかんでもつい比べちゃう。
それがぼくらの悪い癖。
例えばぼくは大概の人から「変な人」と思われるようです。言われもします。
「変な人」を調べると、言動などが世間一般の人とは大きくかけ離れている人、っていう意味だと出てきます。つまりぼくは「世間一般の人」と比べられ、その判定として「大きくかけ離れている」とみなされているわけです。
正直に言いますと、ぼくは多くの人がすんなりされる行動を真似するようにするのがとてもイヤなのです。しなきゃいけないと思うと、ぶるぶるって体が震えるぐらいイヤです。だから冠婚葬祭とかとても苦手です。その場にふさわしいとされる行いのむしろ逆をやっちゃいかねません。お葬式でニコニコしてるやつがいたらそれはぼくかもしれません。
というわけで、ぼくの言動が多くの人と「大きくかけ離れている」という判定はそういうところもあるかもと思わないでもないです。(回りくどい)
ぼくのことはどうでもよくて、とかくこのように、ぼくも含めてついついなにかと「比べる」ことをしちゃうということです。
でも最近では心身の、特に心の不調を訴える状況に対して、「比べる」ことで心が不調になるのでは?という意見をあちらこちらで見かける気がします。
確かに、自分の経済状態をお金持ちの人のそれと比べたりしたら、なんだかなあというきもちになりますよね。
だから比べないようにしよう、ということで、これって仏教の教えにもあったような覚えがあります。
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でも比較すること自体は悪くもなんともないと思います。
むしろ比較しないと、どんな価値判断もできません。
ただその比較が有効な行為であるためには、比較するまわりの環境が同等でないとなんの意味もありません。
釣り上げた魚の大きさを比べるのに、一方は長さを、もう一方は重さをはかったとしたら、そんな数値を比べてもなにがなにやらです。
ですから前項の要点は、比較を有効にするためにまわりの環境を同じにする、ということがほとんど不可能なぐらいに難しい、ということを忘れちゃいけないよな、ということです。
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落語のオチにもこういうのあったような?