先の木曜日(2024年11月21日(木))、広島は大芝集会所でわれら「大声トリオ」の初舞台がしめやかに執り行われた。

「大声トリオ」というのは、ぼくたちが組む落語の一座(チーム)の名前で、メンバーは、ぬりた家じゅん朝、備後家たに助、秋風亭たかぶの3人。誰も彼も声がでかい。なお、チーム名はじゅん朝さんが好きなジャズバンド(?)「大橋トリオ」さんにちなんでます(笑)。

トップバッターは秋風亭たかぶ。これ、ぼくのこと(笑)。
師匠(秋風亭てい朝)の前で披露したばかりの最新の持ちネタ『うなぎ屋』をもってきたのだけれど、うなぎの「ぬるぬる感」がうまく表せれただろうか?

次いで登場されたのは、備後家たに助さん。
普段は福山で活躍されているが、広島には軽いノリで来てくださっており、3人の中では唯一、上方落語をされる方。たに介さんの声は本当に大きくて、まるで閻魔大王のよう。仲間内では「閻魔たに介」と呼ばれている(ウソぴょん)。でも雷鳴のようなその声音は、小さいお子さんならその迫力で泣き出してしまうに違いないと思われる。演目は『つる』。迫力のつる。「つーっ」と来て、「るっ」と停まった。

トリがぬりた家じゅん朝さん。
ぼくはいつもじゅん朝さんと一緒にあちこちと回らせていただいている。ぼくの勤め先の同僚女性によると、「じゅん朝さん、大好き!」だそうで、ぼくのカミさんといつもファン争いをしている。とにかく、いやらしいほどに色っぽいそうだ。
じゅん朝さんの演目は『金明竹』。
ぼくも小三治さんから学んで、持ちネタのひとつにしている噺。

金明竹

与太郎が道具屋の店番をしていると、中橋の加賀屋佐吉から使いが来て「わて中橋の加賀屋佐吉方から参じました。先度(せんど)仲買いの弥市が取り次ぎました道具七品のうち、祐乗(ゆうじょ)光乗(こうじょ)宗乗(そうじょ)の三所物(みところもん)、ならびに備前長船(びぜんおさふね)の則光(のりみつ)、四分一(しぶいち)ごしらえ横谷宗珉(よこやそうみん)小柄(こづか)付きの脇差(わきざし)、柄前(つかまえ)はな、旦那はんが古鉄刀木(ふるたがや)といやはって、やっぱりありゃ埋木(うもれぎ)じゃそうに、木が違(ちご)うておりまっさかいなあ、念のためにちょっとおこわり申します。つぎはのんこの茶碗、黄檗山(おうばくざん)金明竹、ずんどうの花活け、古池やかわず飛び込む水の音と申します。あれは風羅坊(ふうらぼう)正筆(しょうひつ)の掛け軸で…」と早口にまくし立てた。与太郎は節まわしがおもしろいので何度もやらせる。伯母さんが聞いてもさっぱりわからない。使いはサジを投げて帰ってしまった。伯父が帰ってきて、話をきくがさっぱり要領を得ない。「はっきりしたところが一箇所ぐらいないのかい」「思い出しました。古池へ飛び込みました」「え、あいつには道具七品をあずけてあるんだが、買ってかなあ」「買わず(蛙)でございます」

(『増補 落語事典』東大落語会編、青蛙房、昭和44年 より)

まずマクラの「羊」(ぼくが勝手にそう呼んでいる、じゅん朝さん独自のマクラ噺)がすばらしい。シュールで村上春樹っぽくて、ぼくは大好きな一編。短い小説のよう。

その昔、将棋の米長邦雄さんが「矢倉(戦法)は将棋の純文学」と言われたが、ぼくも言いたい。「(じゅん朝さんの)『羊』はマクラの純文学」。

それから本題に入る。
与太郎(じゅん朝さんは「松公(まつこう)」だったかな?)の造形がすばらしい。店に加賀屋佐吉からの使いが来るまでの下りで道具屋の空間全体と与太郎と伯父さんの関係性が、二人のやり取りを通じて具体的に提示されるので、目の前に演劇の舞台があるかのような錯覚に陥る。

そこに加賀佐吉からの使いが来てからは与太郎というより、伯母さんが主役となり、伯母さんと帰ってきた伯父さんとのやり取りがこの噺の白眉。

大芝集会所に集まってこられた、老老男女(失礼!)のみなさん、もう腹を抱えて悶えんばかりに上半身をくねらせながら笑っておられる。

笑いと感動の渦が部屋全体から生まれている。

使いの二度目の言い立ての場面で観客から大きな拍手が起こる。じゅん朝さんは手元のスマホ(その夜聴きながら寝るので録音させてください、と断って置いている)をかざして客席全体にマイクのあるお尻を向けていく。さらに大きな拍手が沸き起こる。

噺の筋を成立させる演劇的方略の技量もさりながら、随所にちりばめられたこうした演芸的方略(観客を楽しませるための方略)が場をさらに盛り上げていく。

映画『ドライブ・マイ・カー』の中で、平和公園に出て演劇の稽古をしていて、演出家役の西島秀俊が放つセリフ

「今、ここでなにかが生まれた」

を、ぼくもそのまま言いたい。

今、ここでなにかが生まれた。