「神は細部に宿る」とはよく言われることばだ。
(参考:「細部に宿るものは神か?それとも?」)
このことばとはべっこにぼくがつくづく感心するのは、誰も見てやしないようなところにもちゃんと物理法則だかのようなもの(=「神」?)が働いているんだなあ、ということだ。
逆に言えば、誰かが見ているからちゃんとやる、という考え方がいかに人間特有のものなのか、ということなのかもしれない。
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量子力学によく出るお話で、「観測問題」というのがある。
だけどぼくはよくわからないので、こちら(《量子力学に「観測問題」は存在しない》)を読まれるといいかもしれません。
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芸術作品とか工業製品とか、なんにせよ人間が作るものは「人間の都合」でいかようにも完成(これでおしまい)とすることができる。
要するに「なにかを作る」ということが属人化している。
それはいいことでもありよくないことでもありしかたのないことでもある。でもいろんな分野でデザインとか完成度の規格を統一しようとされているようだから、インフラ的な製品の属人化はなくなる方向にある(これはありがたい)。
対して「自然」は「The法則」に則って振る舞っていて、その「The法則」はどこでもおそらく同じ原理を反映しているはずだ(ただ人間にはまだその「同じ原理」がどんなものなのか完璧にはわかっていないと思う)。
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こんなことを言いたいんじゃなかった(笑)。
言いたいのは、いつかも言ったと思うけど、
「細部がちゃんと設計されている = 全体が作られる」
ということだ。
部屋を掃除するという行為(=全体)がなされたかどうかは、例えば障子の桟(=細部)を指でぬぐってみるとすぐにわかる。
《参考from 「偽日記@はてなブログ 2024-11-25」》