わがはいは

夏目漱石は、英国留学中に発症した自身の神経症の治療のために『吾輩は猫である』を書いていた。そのおかげか、いくぶんきもちが快方に向かい、今度は自身の楽しみも兼ねて書こうとして書いたのが次作『坊っちゃん』だった。

それは明治38(1905)年のことだった。

そのころピカソはフランスで「ばら色の時代」を迎えていた。
それまで、友人カサヘマスの死に苦しみ、そんな苦しみから逃れるように絵を描いていた(「青の時代」)のだが、そのころピカソのきもちも良くなったのだろう。

ピカソの「ばら色の時代」はやがて「アフリカの時代」につながり、その流れがやがてあの『アビニョンの娘たち』で最高潮に達する。

分野は違うけど、東西二人の表現者が、同じ時期に同じような経過を経て作品を創り出していく様子はおもしろい。