誰かを誰かたらしめるのはその人の言動の他にない。
いやいや、ルックスもあるでしょう?
いやだから、ルックスもその人の言動だろう?
そうかなあ?
それに社会的地位なんかもその人を形作る大きな属性っしょ?
だから、それもその人の言動だろう?
あちゃちゃ。
そんなこと言っちゃ、なんでも言動になっちゃうよ?
そうでないってなら、あなたの言う「言動」ってなによ?
あたしの言う「言動」は、たぶんあんたの思う「言動」とは違うと思う。
だから。
それがなにか?って聞いてるのよ。
あたしに言わせるなら、むしろ「人」ってのが「言動」の属性なのだよ。
へ?
あんたの中には、古今東西の、あらゆるかつあり得た可能性も含めたところのすべての「言動」があるんだ。
もちろんあたしの中にもある。だけどただ、
あんたにはあんたなりの、あたしにはあたしなりの「言動」しか、あんたには、そしてあたしには、認知できないし、想像もできないんだよ。
つまりあんたもあたしも、「言動」の一点発動のようなものに過ぎないのだ。
そして誰にどんな「一点」が与えられ「発動」するのか、それはおそらくなんの根拠もない、偶然のようなものでしかないのよ。
だからこそその偶然として「発動」された「言動」でしか、あんたとあたしの区別はできないってこと。
へええ?
なんだよ、それ。
じゃあおれが何を思って何をしようと、それは単なる偶然だと言うこと?
「偶然」というものがなんなのか、置いておくとして、そういうことだ。
そりゃないだろ。
おれはおれなりに、何かに胸の底を動かされるから、その胸キュンに沿うように行動してるんだよ。それが単なる「偶然」で、何にも理由はないって?
そう。
あなたの話は理屈としてはわかったよ。
でもそれだけさ。
それが正しいかどうか、ちっともわからないし、おれはあなたが正しいなんて思わない。
おれの胸キュンはおれだけのもので、誰のものでもない。
それがあなたの中にもあるって?
そんなわけないじゃん。
いいよ。別に。
あんたがどう思おうと。
ただ、そうだとあたしは思ってる。
だから。
あなたのそんな独善的なところがおれはキライなんだよ。
本当にそれが正しいってのなら、このおれを説得してみろよ。
納得させてみろよ。
そのうちわかる。
チッ!
《参考from「偽日記@はてなブログ 2025-01-09」》