羅針盤と地図があればぼくたちはどこへでも大航海に出かけられる。
誰もがそれなりの羅針盤とそれなりの地図とそれなりの思いをもって、この世界に乗り出している。というか、正直に言うなら、乗り出さざるを得ない。好奇心がそれをそそのかすし、そういうものだとぼんやりとながら世間から刷り込まれてしまったから。
ぼくはこうした出発の話が好きなのだと思う。『BLUE GIANT』なんか見ていると感動でぞくぞくして涙があふれてくる。考えてみればぼくの中のテレビドラマ部門優勝作品である『王様のレストラン』もそうした類の話であり、その後のことは「それはまた別の話」として封印されている。
こういう構造の物語のことを「ビルドゥングスロマン」と言うらしけど、人はその人生の一時期で、こうしたロマンを通過することになっている。
でも実はそれは人生の一時期だけではなく、(最初の)そんな時期がとっくに終わったころでさえ、人はそうした構造を、(望むなら)何度でも、通過することを余儀なくされる。
何もかも味わい尽くしたといいたげなしたり顔でいい歳をしたおっさんが、その心中は少年のようにどきどきまぎまぎしてる、なんてことが起こっているのは本当の話だ。
だからこそ、ときになにもかも放棄して安らげるみなとが必要で、それが点検・修理するためのドック機能を備えていれば言うことはない。
なければ自分でつくればいい。