ひょっとすると、ぼくは勘違いをしていたのかもしれない。

(この感覚を説明しようとするとちょっと小めんどうだけど)
つまり、この世界のあり方のイメージのことなんだけど、
考えてみると、ぼくは、世界がまとまった段ボール箱のようなものの積み重ねで作られている、となんとなく思っていた、と思う。

このイメージは、世界が素粒子の組み合わせでできている、という物理的な素描から来ているのかもしれないのだけど。

でも、ひょっとすると、そうじゃないのかもしれない?

と今朝、感じた。

今朝感じた以前は、だから、できるだけきれいにまとまった段ボール箱を作って、それをみんながこの世界に追加していくことが、この世界の成り立ちの意味とぼくらがあることの意義なんだと、なんとなく思っていた。

でも、ひょっとすると、そうじゃないのかもしれない!

そうじゃない、の正体は、この世界を構成しているものが、まとまった段ボール箱ではなく、イメージとしては、矢印のような、ベクトルのようなもので、ひとつひとつは長く、とてつもなく長く、自由に長く、しかもそれらがあちらこちらで分岐したり切れたりして、どれもこれも、動いているというより、蠢いている、ような、そんな「線」でできているような、錯綜極まりないような。

そう考えると、世界がえらく豊かで動いていてとんでもない感じに思えてくる。

だとすると
ぼくらはチョークかなにかをもって、世界に線を描きまくればいいのだ!
引きまくれ、線を!

そっちの方が断然面白し。


《参考from》「ユリイカ」2024年11月号 特集*松岡正剛
「単独者松岡正剛を反復すること」大澤真幸