なにかを新しく創り出す、その原理は「模倣=ミメーシス」にある。
例えば、YMOはUltravoxを「ミメーシス」することで創られた(?)、とか。
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そして「ミメーシス」するためには、そこのなにを「模倣」するのかという問題が本質的に大事になる、という「なにもほ」問題が立ち上がる。
そして「なにもほ」問題の真ん中にあるのは、そもそもがなにかとなにかが「同じってなによ?」つまり「おななに」問題なのだ。
(略するとかえってわかりにくくなるような)
ベイトソンは、なにをもって、同じとみなすか、ということを分析していていて、
1 機能が似ている → 相似=アナロジー
2 構造が似ている → 相同=ホモロジー
3 規格が似ている → 同規=ホモノミー
と「同じ」の着目点を分類している。
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わが松岡正剛も同じくミメーシスの技法を分類していて、彼によると
1 「やつし」
2 「もどき」
3 「あそぶ」
とあるんだと。
1の「やつし」というのは、わかりやすく言うと、
やつし → やつれる → いまいち
ということらしい。
ここから日本特有の「詫び」とか「さび」の美意識が生まれたのだという。
「いまいち」って丸出だめ夫な感じで使っていたことばだけど、そこに「同じ」を見出すという、これはすごい見方だなあと思う。
《参考from》「ユリイカ」2024年11月号 特集*松岡正剛
「単独者松岡正剛を反復すること」大澤真幸