平安時代とか鎌倉時代とか、江戸時代もそうかもしれないけど、そんな昔は、なにかを修行している人の寝枕によく神様が立っていたという。
そこで神様はその寝ている修行者になにかを告げ、その修行者はそのお告げの通りに行動してなにかがうまくいった、みたいな話だ。
そうした現象があたり前のようになにかと書きつけてあるのだから、きっとそうした現象は、起こることが誇らしいことだったのかもしれない。
最近でのそうした話では、1865年にケクレというドイツの化学者が、ベンゼンの構造(あの亀の子たわしの形だ)を夢に見て思いついたというのがある。
1900年には、「無意識」の発見者として有名なフロイトが『夢判断』という本の中で「夢」の仕組みを想定して、それをヒステリーの治療に応用している。
「夢」ということばが、ぼくたちが寝ている間に見た映像記憶のことだけではなく、未来のいつかに達成したい願いに対しても当てられていることからして、夢はぼくらにとってとても大切なものなのだ。
先日大金が入る夢を見たので、その数日後、1枚200円の宝くじをなんとか5枚買い、これ当たるから大事に取っといてくれとカミさんに渡したのはぼくです。
楽しみにしていたのだろうかカミさんは、当選番号の発表があるやいなや見比べて、200円当たってたよ、すごいじゃん!と、大笑いしていました。
「夢もチボーもない」