「正しい」ということばの正しくなさ

参考:「「正しい」ってどういうこと?」https://www.str.ce.akita-u.ac.jp/~gotou/tebiki/tadasii.html

人が会話の中などで「正しい」ということばを使うとき、それは多くの場合「誰か(権威のある団体とか)が決めた定義や規則にあてはまる」(参考サイトより)という意味で使われています。

この「誰か(権威のある団体とか)が決めた定義や規則」というものが「道理」とか「法」とか呼ばれるものです。だとすればこれら「道理」とか「法」を決めた「誰か」が異なれば、異なる「正しい(こと)」がいくつも同時にあることになります。

宗教的対立を理由に年がら年中戦争が起きたりするのは、これら異なった「正しい(こと)」の勢力争いという側面もあるのだと思います。(少なくともそうした戦争に参加している戦士たちはそう信じているのではないでしょうか。そう思わないとやっていられないでしょう)

今わたしが思う、もっとも広い範囲で「正しい」という評価を獲得しているのは「「科学」が決めた定義や規則」です。

とは言え歴史的に見れば「科学」の「正しい(こと)」も、パソコンのアプリがヴァージョンアップされるように、いろんな分野でいろんな規模でいろんな時に塗り替えられています。これから先も科学のどこのとこらがどんな風に塗り替えられるのか楽しみです。

ともかく何が言いたいのかと言うと、「正しい」ということばはそれだけの意味しかない、ということです。

そう言えば、なにか意見を口にすると、それを聞いた人から「それは正論に過ぎない」という言い方をわたしはよくされるのですが、そう言われるとわたしはキョトンとしてしまいます。

なぜならその人はわたしの意見が「正論」であること、つまりわたしの意見が「誰かが決めた定義や規則にあてはまっている」ことを認めているにもかかわらず、直後に「過ぎない」と付け加えることで「だけど正しくない」と言っているのに等しいからです。

その人は「それは正論に過ぎない」と言うことで、何を言いたいのでしょうか?

おそらくはこうです。わたしは自分の意見を「誰かが決めた定義や規則(以下ではこれをAと言います)」から「正しく」導いた、とその人は認めています。しかしその人はわたしの持ち出したAとは異なるBなるものをこそ信じて(あるいは単に好んで)いて、そのBからはわたしの意見が出てこないと言いたいのです。

それでいいと思います。そしてわたしが聞きたいのは、その人の信じるBなるものの提示です。Aからはわたしの意見が出た、ではその人のBからだとどんな意見が出てくるのか?それを知りたいのです。

つまり、すべての「正論」はそれを言う人の「意見」表明に過ぎないわけです。

このことをすべての人が認めるならば、戦争など起こらないとわたしは思います。

だってそうでしょう。「正論」は「意見」に過ぎません。例えば「ぼくはカレーライスが好きだ」という意見と同じようなものです。「いやいや、わたしはすき焼きが好き」という意見もあるでしょう。でもその両者はその異なる意見が元で戦争など起こさないはずです。単なる「意見」なんですから、人それぞれで異なっているのが当たり前だからです。

Posted by semaphore-shout